「負けたのに、うれしい」――初めての大舞台

「この大会への出場で、人生が180度変わりました。目標ができて、わくわくしています。今の私には夢があります」。18歳のタラ・ハサン・フナイディ選手は、2026年10月2日、アイチ県豊橋市で行われたアジア大会のテコンドー女子49キロ級で初戦に臨みました。試合は16強で終わりましたが、タラ選手は敗戦を悔やむより、「とても幸せです」と笑顔を見せました。

試合前には、審判が試合開始の合図を出した時から、うれしさと高揚を感じていたといいます。勝敗がすべてのように見える競技の舞台で、タラ選手が強く感じたのは、自分がここまで歩んできたことへの誇りでした。彼女にとってこの大会は、順位を競う場であると同時に、自分の未来を思い描くための場所でもありました。

「今日負けましたが、これは成功の始まりです。次の五輪ではメダルを取りたいです」

アジア大会で初めて結成された難民チーム

タラ選手は、アジア大会に初めて参加した難民チームの選手2人のうちの1人です。もう1人は、男子80キロ級に出場したマフムード・ジャシム・ムハンマド選手で、2人はそろってテコンドーの試合に臨みました。いずれも16強で大会を終え、アジアの難民チームとして初めてのメダル獲得には届きませんでした。

難民選手団は、2016年のリオデジャネイロ五輪から五輪に参加してきました。一方、アジア大会で難民チームが編成されたのは、今回が初めてです。出場までに時間はかかりましたが、難民の選手が国や地域の代表とは異なる枠組みで国際大会に立つ道が、アジアにも広がりました。

  • タラ・ハサン・フナイディ選手:テコンドー女子49キロ級に出場し、16強で敗退。
  • マフムード・ジャシム・ムハンマド選手:テコンドー男子80キロ級に出場し、16強で敗退。
  • 大会の意味:メダルの有無にかかわらず、難民選手がアジア大会の舞台に立った初めての機会となりました。

シリア内戦から逃れた家族と難民キャンプでの暮らし

タラ選手はシリア出身で、家族とともに内戦を逃れ、ヨルダンのアズラク難民キャンプで暮らしてきました。マフムード選手も同じくシリア出身で、難民キャンプにたどり着くまでに避難を経験しています。戦争によって故郷を離れざるを得なかった人々にとって、生活の場を失うことは、将来の見通しや夢を描く機会を失うことにもつながります。

そうした環境の中で、タラ選手が出会ったのがテコンドーでした。彼女にとって競技は、体を鍛えるだけの活動ではありませんでした。練習を重ね、技を身につける経験を通じて、「自分にもできる」という自信が生まれ、先のことを考える気持ちが育っていきました。

9歳で始めたテコンドーが自信につながる

世界テコンドー連盟は2016年、非営利団体のテコンドー人道財団を設立し、各地の難民キャンプでテコンドーを教える活動を始めました。2018年にはアズラク難民キャンプに専用のアカデミーが開設され、タラ選手は9歳の時にそこで競技と出会いました。最初は慣れない動きもありましたが、蹴りを繰り返し練習するうちに、自分の可能性を信じられるようになったといいます。

テコンドーの「キョルギ(相手と技を競い合う試合形式)」では、選手は相手の動きを見ながら蹴りや防御を繰り出します。試合では一つの技を決めるにも、練習の積み重ねや集中力が必要です。タラ選手はこの競技を通して、努力が少しずつ形になる経験を重ね、それを人生にも生かしてきました。

「テコンドーは、私の人生の多くのことを、より良い方向に変えてくれました」

アカデミーでの練習を続けたタラ選手は、やがて選手として成長し、アジアオリンピック評議会が編成した初のアジア難民チームに加わりました。難民キャンプで始めた競技が、国際大会への出場につながったのです。かつて将来を描くことが難しかった少女にとって、アジア大会の舞台に立つこと自体が、これまでの歩みを確かめる機会になりました。


メダルがなくても、得られた「次の目標」

タラ選手は、今回の出場を「新しく、良い経験」と振り返り、今後も他の選手たちと試合を続けたいと話しました。初戦で敗れた結果だけを見れば、目標に届かなかった大会と受け止められるかもしれません。しかし彼女は、出場を通じて夢を持ち、次の挑戦を具体的に考えられるようになったことを大切にしています。

マフムード選手も、試合に敗れた後、世界の難民に向けてメッセージを送りました。人生でも競技でも傷つくことはあるが、そこであきらめず、自分の夢を追い、前に進み続けてほしいという内容です。競技場での敗北を、人生全体の失敗と決めつけない姿勢が、2人の言葉に共通しています。

  • 勝敗の外にある成果:国際大会への出場を通じ、自分の力や可能性を確かめる。
  • 次につながる目標:タラ選手は、次の五輪でメダルを獲得したいと話しています。
  • 周囲への願い:難民の人々にも夢をあきらめず、挑戦を続けてほしいと呼びかけました。

一つの出場が示した、スポーツの役割

難民チームの結成は、五輪での参加から10年を経て、ようやくアジア大会でも実現しました。今回、2人はメダルを持ち帰ることはできませんでしたが、難民として生きる選手が大きな大会に参加し、自分の経験と言葉を伝えたことには大きな意味があります。競技の結果だけでなく、その舞台に立つまでの過程もまた、スポーツが人に与える力を示しました。

タラ選手の歩みは、テコンドーが戦争や避難の経験を消し去るわけではないことも示しています。それでも、練習できる場所や支えてくれる人との出会いは、失われたと思っていた将来をもう一度考えるきっかけになり得ます。彼女の蹴りは、メダルには届かなかった一方で、「夢を持ち、次へ進む」という希望を観客に伝えました。